学校概要
学校住所
学校基本情報
学校教育目標
羊蹄の大地に 豊かな心でたくましく未来を拓くニセコの子
1.つよく 強い心と身体をもって 自立する子
2.なかよく 思いやりの心をもって かかわる子
3.かしこく 自分から進んで考え 判断する子
今年度の重点目標
『自ら考え、進んで行動するニセコの子の育成』
学校経営方針
(1) 経営の基本的な考え
学校の教育目標、重点目標の達成を目指し、「自立」と「共生」という北海道教育の基本理念 を踏まえ、教育効果を高める「カリキュラムマネジメント」を促進・充実する。
①”よりよい学校教育を通してよりよい社会を創る”という目標を学校と保護者地域社会が共有し、連様・協働しながら、新しい時代に求められる資質能力を子どもたちに確実に育むことを目指す。
②上記の①を達成するために、地域環境(人・もの・こと)を積極的に活用した特色ある教育課程 を編成・実施し、不断の評価・改善に努める。
(2) 経営の基本方針
①地域とともにある学校
地域環境(人・もの・こと)を積極的に活用するとともに、地域の人々と目標やビジョンを共有し、地域との連携・協働による学校経営を行う。
②チームとしての学校(組織で考え、 組織で動き、 組織で創り上げる)
授業も分掌業務も単独で動くのではなく、チームでの動きを意識し「子どもについて積極的に語り合い、相談して指導にあたる」職員集団を目指す。さらに、行政等の関係機関及び外部専門スタッフ等との連携・役割分担を図り、組織運営を活性化する。
③教員の資質能力の向上
教職員一人ひとりが組織の目指す目標を理解し、その達成に向け主体的に自己目標をかかげ学び続けるとともに、実効性のある共同研修を推進し「学び合う組織」の中で教職員が育つ学校を目指す。
本校沿革の概要
明治34年11月1日、真狩村より分村して狩太村と称し、元町に戸町役場が置かれた。明治37年10月15日、函館本線の開通で狩太駅が設置されると、来住者が急激に増加し、たちまちにして戸数千余戸となった。
なかでも駅に近い松岡農場には百戸の商家が軒を連ねる市街地となった。また、隣接の山本農場(有島)などの開拓もめざましく、学校設置の必要が叫ばれるようになった。しかし、時は日露戦争の最中であったため、財政的余裕が なく、児童は4キロも離れた狩太第一尋常小学校(現近藤小学校)に通学していた。泥土、膝を没する悪路に悩みながら通学する児童を見るに忍びなかった村の有志は東奔西走、寄付金を募り、松岡陸三氏以下111名で898円70銭の金を得て学校設置に踏み切った。
明治38年 12月 15日 狩太第四尋常小学校として現農協付近に開校
43年 5月 1日 高等科を併設し狩太第四尋常高等小学校と改称
大正 4年 12月 15日 開校10周年記念式典挙行(5学級・299名)
5年 10月 19日 狩太尋常高等小学校と改称 村内の高等科を合併
昭和 3年 11月 25日 校舎を現在地に新築移転
8年 4月 1日 曽我小学校を合併し分教場とする
(12学級・666名)
9年 1月 2日 校舎全焼(午後5時、運動場横の石炭庫より出火)
11月 11日 新校舎落成
10年 10月 25日 開校30周年記念式典挙行(13学級・704名)
16年 4月 1日 狩太国民学校と改称 曽我分教場独立
21年 11月 3日 開校40周年記念式典挙行(16学級・718名)
22年 4月 1日 狩太小学校と改称
30年 10月 2日 開校50周年記念式典挙行(14学級・680名)
35年 12月 1日 王子小学校を廃校し本校に統合
39年 10月 1日 町名変更によりニセコ小学校と改称
40年 10月 10日 開校60周年記念式典挙行(12学級・447名)
現『校歌』を制定
43年 4月 1日 曽我小学校を廃校し本校と統合
50年 10月 19日 開校70周年記念式典挙行(13学級・327名)
56年 4月 1日 藤山小学校を廃校し本校と統合
58年 1月 12日 新校舎完成、移転
10月 16日 新校舎落成記念式典・祝賀会挙行
60年 11月 10日 開校80周年記念式典挙行(9学級・282名)
平成 2年 4月 1日 福井小学校廃校により本校に通学する児童がでる
川北方面児童スクールバスによる通学開始
3年 9月 5日 グランド改修工事
4年 4月 6日 スクールバスによる通学3系統で開始
7年 10月 22日 開校90周年記念式典挙行(12学級・272名)
8年 4月 1日 町経理オンライン化
13年 7月 12日 パソコン室にパソコン22台設置
15年 4月 1日 少人数指導加配校教員配置(2名)
16年 2月 10日 児童玄関改修工事(ドアから開き戸へ入れ替え)
児童用靴箱入れ替え
5月 30日 開校100周年記念協賛会設立準備委員会設立
17年 3月 10日 開校100周年記念協賛会設立
10月 5日 開校100周年記念公開研究大会
10月 23日 開校100周年記念式典・祝賀会挙行
18年 4月 1日 ニセコ町立宮田小学校と統合
19年 4月 3日 新学校教育目標制定
20年 4月 1日 2学期制開始
21年 12月 3日 2学期制プロジェクト 自主公開研究会
「自学のすすめ」
22年 4月 1日 特別支援学級 言語学級「すみれ学級」新設
特別支援学級4学級
11月 1日 校舎改修工事完了
23年 11月 4日 後志教育研究会道徳研究大会
24年 11月 6日 後志ブックフェスティバルinニセコ
25年 3月 8日 体育館改修工事終了
26年 3月 15日 一部教室改修
28年 11月 18日 第44回北海道特別活動研究大会
29年 1月 16日 電気室・電気設備改修
30年 11月 16日 第44回北海道国際理解研究大会後志大会
31年 2月 21日 ニセコスタイル外国語活動公開授業研究大会
令和 1年 11月 5日 後教研図工・美術研究大会 授業会場
2年 4月 20日 新型コロナウイルス感染症により臨時休業
4月 30日 分散登校開始
6月 1日 通常登校再開
校下の概況
ニセコ町は、東経140°48’、北緯42°52’後志支庁管内中央部の羊蹄山西麗に位置している。 地形は周囲を山岳に囲まれた波状傾斜の丘陵盆地を形成しており、面積197.13㎞²で東西に20㎞、南北に19㎞の広がりをもつ。総面積の72.5%、142.91㎞²が山林原野で、耕地は14.7%、29.05㎞²で水田6.78㎞²、畑22.27㎞²の利用となっている。
気象条件は概して内陸性気候を呈し温和であるが、東に羊蹄山(1,898m)北にニセコアンヌプリ(1,308m)がそびえ、冬期には積雪が多く平年で160㎝、多い年には230㎝にも達する豪雪地帯である。
また、本町は自然条件に恵まれており、支笏洞爺国立公園、ニセコ積丹小樽海岸国定公園の一角をなし、ニセコ連峰を中心に四季を通じて観光客が訪れている。特に冬は、地形的条件と相まってスキーのメッカとして広く知られている。
近年、冬季スポーツとして盛んなこのスキーと豊富に湧出する温泉を中核とした観光事業にも力を入れている。
人口は約4,700人で、職種で見ると農家が最も多く、畑作中心の農業が主となっている。最近では、観光産業に従事する人口が増加してきている。
父母の教育に対する関心は高く、学校教育・社会教育の振興にも積極的であり、学校行事に対しても協力的である。
校歌
◎ニセコ小学校校歌
沼岡兼朗 作詞
八州秀章 作曲
1 大空高くそびえたつ
羊蹄山を この窓に
よろこび つどう学び舎は
平和の光 かがやいて
学ぶわれらの たのしさよ
2 朝もやうすれ 日に映える
尻別川の とこしえに
豊かにみのる わが郷土は
祖先の労苦 しのばれて
はげむわれらの とうとさよ
3 緑と雪に つつまれて
たのしく育つ 高台に
心をみがき 身をきたえ
希望の光 あおぎみて
伸びるわれらの うれしさよ